森野のエラーで完全試合が最高年齢でのノーヒットノーランに 山本昌

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中日ドラゴンズの歴史を語るとき、その名を避けて通ることはできません。山本昌は、1984年から2015年まで実に32年間、中日ドラゴンズのユニホームを着続けた唯一無二の存在です。

プロ野球史上最年長勝利、最年長登板、最年長ノーヒットノーランなど、数々の記録を打ち立てましたが、それ以上に「長く、確かにチームを支え続けた」という事実が、山本昌の価値を物語っています。

目次

〇基本情報

本名:山本昌広(Yamamoto Masahiro)

登録名:山本昌

経歴:日本大学藤沢高校(1981-1984)→中日ドラゴンズ(1984-2015)

ポジション:投手

ドラフト順位:5位

山本昌パワプロ能力


〇ドラゴンズでの活躍

星野仙一監督第一次政権

山本昌がプロ入りした1984年当時は一軍定着に至らず、1986年に初登板を果たすものの、勝利を挙げられない時期が続きました。本格的にキャリアの歯車が回り始めたのは、星野仙一が監督を務めていた1987年以降です。

1988年、星野の判断によりアメリカ・ドジャース傘下への野球留学を経験します。実はこの留学は戦力外に近い選手が行かされるもので、半分戦力外通告を受けたようなものでした。

しかしこの留学中に山本昌は留学先の世話役であるアイク生原との出会いがきっかけでスクリューボールを習得し、帰国後の同年後半に一軍で5勝を挙げ、リーグ優勝に貢献しました。

これは山本昌にとって初めて「戦力」として評価されたシーズンであり、先発投手としての可能性を明確に示した年でもありました。

このスクリューボールは山本昌が投手としてやっていく転機ともなったボールですが、実際の投球はカーブのほか、決め球としては130km台のストレートを使用することが多かったようです。

1989年からは先発ローテーションに定着し、二桁投球回数を消化する投手として安定します。この第一次星野政権は、山本昌が「プロで生き残る投手」になった時代と位置づけられます。

高木守道監督第一次政権

高木守道が監督を務めた第一次政権では、山本昌は名実ともに中日投手陣の中心となりました。1993年に17勝、1994年に19勝を記録し、1994年には沢村賞を受賞しています。この沢村賞は、山本昌が球界屈指の先発投手であったことを示す明確な実績です。

特に1993年から1994年にかけては、今中慎二とともに左の柱として機能し、チームの上位争いを支えました。ただし山本昌自身は、絶対的エースとして君臨するというよりも、ローテーションの中核を担う存在として役割を果たしていたのが実情です。

1995年は故障の影響でわずか2勝に終わり、成績を大きく落とします。ここで一度投手としてのピークが過ぎたと見る向きもありました。

星野仙一監督第二次政権・山田監督時代

星野が再び監督に就任した1996年以降、山本昌はそれまでとは異なる投球スタイルを確立していきます。スピードや力に頼らず、制球と配球で打者を抑える投球へと完全にシフトしました。

1997年には18勝を挙げ、三度目の最多勝と初の最多奪三振を獲得しています。このタイトルは、若さではなく理論と経験によって勝ち取った結果であり、後の長寿投手としての土台がここで完成したといえます。

落合博満監督時代

落合博満が監督に就任した2004年、山本昌はすでに39歳でした。それでも13勝を挙げ、リーグ優勝に貢献します。この時期の落合ドラゴンズは役割分担が明確で、山本昌は「計算できる先発投手」として年間ローテーションを維持することが求められていました。

2006年には41歳でノーヒットノーランを達成します。これは日本プロ野球史上最年長での達成記録であり、山本昌の代名詞ともいえる快挙です。2008年には42歳で通算200勝に到達し、先発完投で節目を飾っています。

落合政権下での山本昌は、エースというよりも「信頼の柱」として存在し、チームが長期間安定した戦力を保てた要因の一人でした。

ただし落合政権下を最後に遠ざかっている日本シリーズについては、現役時代に何度か登板機会はあったものの、勝ち運に恵まれず1勝もすることなく現役を引退しました。

高木守道監督第二次政権

高木守道が再度監督に就任した2012年以降も、山本昌は一軍登板を続けます。2012年には47歳で勝利を挙げ、プロ野球史上最年長勝利記録を更新します。

谷繁元信監督時代

2014年からは谷繁元信が選手兼任監督としてチームを率いました。この時期の山本昌は49歳を超えていましたが、2014年には49歳で勝利を記録し、2015年には50歳で公式戦登板を果たします。これは日本プロ野球史上初の出来事です。

当時の落合博満GMは山本昌について、「自分で引退する時を決めることができる選手」と評し、年齢にかかわらず契約を更新し続けていました。

2015年10月7日の一軍登板を最後に、山本昌は現役を引退しました。32年間のプロ生活は、すべて中日ドラゴンズで完結しています。

〇引退後

引退後の山本昌は、野球解説者および評論家として活動しています。テレビ・ラジオでの解説では、長年の実戦経験に基づいた論理的な話が特徴で、投手目線からの分析に定評があります。

2022年には日本野球殿堂入りを果たし、競技者表彰として正式にその功績が評価されました。

余談ですが、山本昌の焼肉の食べ方に、焼いた肉を生肉の乗っていたトレーに残っているタレに一度つけてから食べるというものがありました。この件については焼き肉店を営むYouTubeの「ホルモンしまだ」チャンネルで、「危険なので絶対にやってはいけない食べ方」と評されています。

ちなみにラジコンが趣味なことでも有名です。







かめはち

かめはち

東京都在住。ゲームでの立浪のプレーがきっかけで、2003年以来の中日ファン。
落合博満監督絡みの書籍を多数保有。オレ流の思考法を勉強。

ドラゴンズの試合には毎年足を運ぶ。
応援歌も頑張って覚える。
現役選手では根尾昂、田中幹也、高橋周平が特に好き。

中学時代から野球をプレーする方も好き。
でもへっぽこ。ベンチが定位置。
学生時代以降野球をする機会がなく、ちょっとさみしい。

野球以外には読書、将棋、鉄道が趣味。
資産運用ブログ「八亀総合研究所」を運営中。

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