落合博満と不仲説あり YouTubeチャンネルも開設の二塁打記録保持者 立浪和義

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目次

〇基本情報

名前:立浪和義(Tatsunami Kazuyoshi)

経歴:PL学園(1985-1988)→中日ドラゴンズ(1988-2009)

ポジション:遊撃手、二塁手、三塁手、外野手

ドラフト順位:1位


〇ドラゴンズでの活躍

星野監督時代

打撃と守備の両方を買われて、大いに期待されドラゴンズにドラフト1位で入団します。

PL学園では下級生は上級生のお世話をしなければならない慣習がありましたが、歴代で3人だけはその義務を免除されていました。そのうちの一人が立浪です。

入団一年目からショートとしてレギュラーで活躍します。当時ドラゴンズのショートには宇野勝という伝説級(珍プレーとしても)の選手がいましたが、星野監督は彼をセカンドにコンバートしてでも立浪をレギュラーで使いました。

立浪もその期待に応え、新人王とゴールデングラブ賞を獲得し、後に3代目ミスタードラゴンズと呼ばれるようになります。

高木監督~山田監督時代

1992年には新しく就任した高木守道監督に直談判し、ショートのポジションを種田仁らに譲って自らはセカンドに移ります。この移動先のセカンドでもゴールデングラブ賞を獲得しました。

また2003年にセカンドからサードにポジションを変更しますが、こちらでもゴールデングラブを獲得、プロ野球史上初3つのポジションでゴールデングラブ賞を獲得した守備の名手としての評判を確立します。

同年、2,000本安打を達成し、PL学園の先輩である清原和博から花束を受け取りました。

打撃では3割を打つこともちょくちょくある一方、意外なことに打撃タイトルには縁がありませんでした。

山田監督~落合監督時代

2002年から2005年中盤までも、立浪はクリーンアップの一角として打撃面でも活躍します。

その勝負強い打撃と歴代最多となる二塁打で、チームの勝利に貢献します。

また2004年の西武ライオンズとの日本シリーズ第3戦では、ドラゴンズビハインドの場面で当時の西武エース、平成の怪物こと松坂大輔から逆転のスリーランを放ち、球場を大いに沸かせました。

落合博満政権下である2005年は途中まで3番サードを守っていましたが、守備位置をレフトに移すことになります。

これには理由が三つあり、一つは立浪自身がサードのポジションを嫌がったことがあります。サードはホットコーナーとも言い、強い打球が飛びやすいことから立浪は恐怖心を持ってプレーしていたようです。

二つ目の理由は立浪の守備の衰えにありました。落合監督は立浪の守備を見て、昨年よりも抜ける打球が多くなっている、つまりは守備範囲が狭くなっていることを見抜きました。

そこで若手の森野将彦を徹底的に鍛え上げ、サードのポジションに据えます。三つ目の理由はその森野に使えるめどが立ったことです。

以降晩年はレギュラーとして出ることが少なくなります。今まで長年レギュラーを張っていた立浪が初めてレギュラーを外された試合、立浪は「なんで俺のもとに一言もないんだ!」といってベンチ裏で激怒したといいます。落合監督は立浪にベンチスタートであることを伝えずに、レギュラーから外していました。

悶々とした気持ちで野球をしていた立浪を変えたのは、2007年に加入した中村紀洋の存在でした。中村は大阪近鉄バファローズの4番打者であり、メジャー経験者でもありながら、前年にオリックスを自由契約となり、育成契約で中日ドラゴンズに移籍してきました。

立浪は自分より上手い中村の練習の取り組みや試合でのふるまい方を見て、代打の切り札の道を歩み始めます。守備は衰えたとはいえ、もともと打撃は良く、代打では十分に使える水準だったので、当然のように活躍しました。代打・立浪のコールに球場は熱狂の渦に沸きました。

2008年はコーチ兼任、そして2009年のシーズンで現役を引退しました。

〇引退後

引退後は野球解説をしたり、野球日本代表の打撃コーチを務めていました。

〇ドラゴンズ監督時代

2022年に前・与田剛監督の次の監督として、満を持して立浪監督が誕生します。

実は2022年以前にも監督候補として立浪の名前が挙がっていたそうですが、当時の白井球団オーナーが立浪のスキャンダルを嫌って監督に就任させなかったという話があります。

就任した時のドラゴンズはとにかく貧打に泣いていました。打率も得点もリーグ最下位で、2019年以降毎年打てない病に苦しんでいました。

そのチーム事情を汲んで立浪監督は「打つ方はなんとかします」と力づよく宣言します。

立浪監督一年目は与田監督の路線を継いで、セカンド・阿部、ショート・京田を使い続けます。

しかし二年目からは大規模な改革に乗り出し、セカンドのレギュラーである阿部を東北楽天・涌井とのトレードで放出。

ショート・京田のレギュラーも横浜スタジアムの試合でプレーを見て「闘う顔をしていない」という理由でベンチに下げ、そのまま二軍に送ります。その後京田は横浜DeNAの砂田とトレードで放出しました。

放出した二遊間はドラフトで補強しました。田中幹也、村松、福永、辻本は立浪政権時のドラフト指名選手です。

また日本ハムファイターズから齋藤・宇佐見を山本・郡司とのトレードで獲得しました。

加えてキャッチャー兼ファーストだったアリエル・マルティネスを自由契約で同じく日本ハムに放出。

郡司・アリエルが日本ハムで活躍したことから、「打つ方はなんと貸します」とか「打つ方は難と化します」と揶揄されます。また野球漫画の「タッチ」の替え歌で「タッツ」というものがYouTubeに上げられました。

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積極的に外部の風を取り入れた立浪監督でしたが、貧打は治らず、立浪政権下では球団史上初の3年連続最下位に沈みます。2024年にその責任をとって辞任しました。

成績は上がりませんでしたが、立浪監督の時代に取った田中幹也、村松、福永、宇佐見、上林、山本などは井上監督になった今では活躍しています。2026年のオープン戦の時点では、中日ドラゴンズの打撃成績は上位にあります。

立浪監督が蒔いた種が花開きました。結果として、「打つ方はなんとか」したのです。

〇監督退任後

監督退任後はYouTuberとして活躍したり、解説者としてわかりやすい解説が好評を博していたりします。





かめはち

かめはち

東京都在住。ゲームでの立浪のプレーがきっかけで、2003年以来の中日ファン。
落合博満監督絡みの書籍を多数保有。オレ流の思考法を勉強。

ドラゴンズの試合には毎年足を運ぶ。
応援歌も頑張って覚える。
現役選手では根尾昂、田中幹也、高橋周平が特に好き。

中学時代から野球をプレーする方も好き。
でもへっぽこ。ベンチが定位置。
学生時代以降野球をする機会がなく、ちょっとさみしい。

野球以外には読書、将棋、鉄道が趣味。
資産運用ブログ「八亀総合研究所」を運営中。

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