〇基本情報
名前:岩瀬仁紀(Iwase Hitoki)
経歴:西尾東高校(1990-1993)→愛知大学(1993-1997)→NTT東海(1997-1999)→中日ドラゴンズ(1999-2018)
ポジション:投手
ドラフト順位:2位

〇ドラゴンズでの活躍
星野仙一政権
アマチュア時代には打者としても活躍していましたが、社会人時代から投手に専念し、ドラゴンズにも投手としてドラフト2位で指名されます。
入団一年目からリリーフとして活躍し、シーズン途中からは勝ちパターンの一角としても活躍、65試合に登板し防御率1.57で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得します。
しかし同年は20勝を記録した巨人・上原浩治が存在したため、新人王のタイトルは逃します。
岩瀬といえば「死神の鎌」とも呼ばれるスライダーが有名ですが、実は本当に武器になっていたのはストレートだったようです。
というのも、岩瀬のストレートは若干?変化していたようで、同僚でキャッチボールをしていた川上投手などは「岩瀬さんのストレートは変化するからやりにくかった」旨の発言をしています。
岩瀬は左投手のため、相手チームは右打者を代打に出すことが多いのですが、岩瀬のストレートは右打者の懐に食い込むような変化をするため、むしろ左打者の方が打ちやすかったのではないかともいわれています。
1999年のオフは、それまでドラゴンズのストッパーを担っていた宣銅烈が現役を引退したため、ストッパーとして岩瀬の名前が上がりますが、結果としてドラゴンズは新外国人のエディ・ギャラードをストッパーとして起用し、以後3年間、岩瀬はセットアッパーとして活躍します。その間に最優秀中継ぎ投手をさらに2回獲得します。
今でも中日ファンの中には、岩瀬は抑え投手としてよりも中継ぎとしての方が輝いていたと感じている人も少なくありません。筆者も巨人戦で相手バッターのフライバントに対し、マウンドから飛び降り飛びついてアウトを取ったシーンが忘れられません。
落合博満政権
2004年から落合監督の新政権が発足すると、それまで抑えを担っていたギャラードや大塚晶則が対談し、岩瀬がストッパーの座に就きます。
ただストッパー初年度の序盤は左足中指の骨折を抱えた状態で投げ続けたため、22セーブ防御率2.80と、岩瀬にしては低い成績となりました。しかし同年のチームの優勝に貢献しました。
翌2005年には日本プロ野球記録の46セーブを挙げセーブ王、以後もストッパーとして登板を続け、通算5回のセーブ王タイトルを獲得します。
2007年の北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズ第5戦では、8回まで完全試合を続けていた山井大介からバトンを引き継ぎ、9回表の日ハムの攻撃に登板。3人で抑えて日本球界史上初の、2人での日本シリーズ完全試合を達成します。
この試合、岩瀬は「ものすごく緊張した」旨を語っていますが、捕手の谷繫元信をはじめドラゴンズナインは「9回は山井ではなく岩瀬さんが妥当」と認識していました。
また降板した山井投手も、最初こそ9回のマウンドに上る意志を見せますが、本人が手のマメがつぶれて投げられる状態ではなかったこともあり、森繫和コーチに「やっぱり岩瀬さんでお願いします」とマウンドを譲りました。「ドラゴンズの9回は岩瀬」という信頼が出来上がっていたのだと思います。
ちなみに岩瀬自身は通算6度の日本シリーズで1失点もしていません。
2008年には星野仙一監督の元、北京オリンピックに日本代表選手として出場しますが、起用法がストッパーではなく慣れていない中継ぎで調整が難しかったことが理由で、日本が優勝を逃した戦犯のような扱いを受けます。
この時の岩瀬の憔悴しきった姿は、後の2009年WBCにおけるドラゴンズの選手のボイコット騒動に影響を与えました。
高木守道政権~森繫和政権
その後も岩瀬は安定した成績を残し続け、2004年から2014年までの11年間連続で20セーブ以上、内9年は30セーブ以上で、2004年から2013年までは防御率が3点以上になったことがありませんでした。
しかし2015年に左ひじを故障し、初めて1試合も投げないシーズンを迎えます。
その後は主に中継ぎ投手として投げ続けました。残念ながらそのころは往年の活躍をすることはできず、出てきても打たれることが多かったのですが、当時の監督が落合監督時代のヘッドコーチだった森繫和監督で、温情で登板させ続けてくれたこともあり、結果として日本プロ野球史上最多の1002試合登板と、通算407セーブを達成し、2018年に引退します。
2017年には日本ハムからFA宣言で中日に入団した大野奨太の人的補償に岩瀬が指名され、岩瀬が「移籍するならすぐにでも引退する」と断ったという噂もありました。真意は不明です。
2018年はドラゴンズ黄金時代のセットアッパーである、浅尾拓也も引退しました。
浅尾の引退試合では、「自分が投げた後に岩瀬さんに投げてほしい」という浅尾の希望があり、浅尾が阪神・中谷から三振を奪うとナゴヤドームに「ピッチャー、浅尾に代わりまして、岩瀬」のアナウンスが流れました。
黄金時代の黄金リレーを彷彿とさせるこの演出に、球場は大いに沸きました。
〇引退後
引退後はコーチに就任するかと思われていましたが、「外から野球を見てみたい」という希望もあり、解説者・野球評論家として活動しました。たまに落合博満元監督の講演にゲスト出演しています。
