「哲学とは何か?」という問いに対しては回答が難しいもので、人それぞれによって異なる定義を行っています。
しかし「哲学はどのように始まったか」という問いに対しては、歴史の問題なのでそれをなぞっていくことができます。
今回は哲学の始まりについて見ていきます。
自然哲学
西洋哲学発祥の地と言えばギリシャです。
紀元前8世紀頃には現在のギリシャやトルコ西部で「ポリス」と呼ばれる有力貴族が支配する小規模集落が存在していました。
まだ現在のギリシャのような巨大な統一国家が存在しなかった時代です。
この小規模集落では「ギリシャ神話」という共通の物語・世界観を持っていました。
ギリシャ神話の中では想像力により「世界とは何か?」、すなわち世界の成り立ちから現在の自然が発生する物語が展開されていました。
紀元前6世紀頃になるとポリス市民たちは、征服地から調達した奴隷に仕事を任せるようになり、暇になりました。
この「暇」のことを「スコレー」と言います。今の学校(School)の語源です。
暇を持て余したギリシャ地方の人々は、地中海を隔てた各地と交易をすることで、自分たちが唯一共通のものと信じていたギリシャ神話以外の神話が各地に存在していることを知ります。
「自分たちの世界は唯一絶対のものではない」と気づいたポリス市民たちは、「では世界は何からできているのか?」と考え始めます。
これが万物の根源は何かという問いに繋がります。
この万物の根源探しのことを、自然哲学と呼びます。「自分たちの世界=自然は何か共通のものでできている。
その共通のもの(万物の根源=アルケー)は一体なんなんだ?」ということですね。
万物の根源の候補には、当時の偉い哲学者が「水」やら「空気」やら「火」やら、果てには「それ以上分割できないもの(=原子)」まで出てきます。
現在の化学の観念が紀元前に出てきていることには驚きですよね。
このように、当時の人たちは最初は自然を対象に、その成り立ち・根源を考えていました。
人為への関心
紀元前5世紀半ばには、ポリスにおいて平民も力を持つようになり、弁論の力があればポリスの政治に参加できる有力者になれる時代がやってきました。
それにより人々の関心の対象は今までの「自然」から、法や習慣、道徳などの人が作った「人為(=ノモス)」へと移っていきました。
出世のために必要な知識をつけようとしたのですね。
このころには「ソフィスト」と呼ばれる知識人が人々に対して法律や教養などを教える教師として存在しました。
この中でも特に重要視されていた技術が弁論術です。
しかし弁論術には、物事の真偽を重視せず、言い負かしたもん勝ちみたいな側面がありました。
そのような環境下において、まだ自然の根源(アルケー)について考えていた人の中には、「万物の尺度は人間である」とし、「真理の物差しは人それぞれに異なる」という考え方を披露する者が現れました。
つまり、「世の中には万物の根源なんていう絶対的な真理は存在せず、あったとしても人によって捉え方が異なるから極めて主観的なものになる、いわば相対的真理にすぎない」という考え方です。
この考え方は当時のソフィスト(知識人)達に広まっていきました。
万物の根源とは何か。それは人によって異なる。簡単に言えばそういう結論です。
このような相対的真理が広まる中で、「いやいや、やっぱり絶対的な存在としての万物の根源はあるよ!」と言ったのが、これから見ていくギリシャ3大哲学者です。
ソクラテス
ソクラテスは相対的真理を批判し、絶対的真理である万物の根源を求め続けることが、人間本来の知の在り方、すなわち学問の出発点と考えた人です。
この「知を愛する(愛知)」姿勢のことを「フィロソフィア」と言います。哲学(philosophy)の語源です。
余談ながら「ソフィア」は知のことで、上智大学でよく使われる言葉です。
ソクラテスは、全ての事物には「徳(アレテー)」があるとしました。
現在一般的に使われている「徳」の概念とは違い、アレテーとは、群を抜いて優れていること・優位性のことを言います。
例えば馬のアレテーは速く走ること、ナイフのアレテーはよく切れることです。
そして人間のアレテーは、魂への配慮を怠らず「善く生きる」ことだと説きました。
そして善く生きてアレテーを入手できれば幸福になれると説きました。
ソクラテスと出会い、その教えに衝撃を受けたのがプラトンです。
ソクラテスは自著を残していないので、プラトンを始めとした弟子たちがソクラテスの教えを文書化して後世に残しています。
有名な「ソクラテスの弁明」もプラトンによって書かれたものです。
プラトン
ソクラテスの弟子であるプラトンは、ソクラテスの思想を知った上で、人としての生き方だけでなく自然や世界の捉え方全体へと思想を展開していきます。
プラトンが展開した万物の根源思想は「イデア」と呼ばれるものです。
イデアは「永遠不滅の本質」であり、「真の実在」と呼べるもので、世界のあらゆる事物(=万物)はこのイデアを原型にしていると考えました。
イデアはアイデア(idea)の語源になっています。
プラトンは、世界は理性で捉える「イデア界」と我々が存在している現実世界である「現象界」に分かれていて、イデア界が真の世界であると説きました。
そして人間の魂は生まれる以前はイデア界に存在していたとし、生まれた後の現実世界においてもイデアを思い出すことができるとしました。
プラトンは理想のイデア界を現実世界で実現しようと思索を重ねました。
まず人間の魂は「理性」「気概」「欲望」の3つから成るとし、理性は「善のイデア(イデアの中のイデア)」を認識する知恵の徳を、気概は理性に従う意思である勇気の徳を、欲望は理性に従う意思を制御する節制の徳を持つと考えます。
そして3つの徳が調和すれば正義の徳が実現し、理想が実現すると考えました。
これはソクラテスの「魂に配慮し、善く生きる」を理論化したものになります。
自然哲学は万物の根源を何かしらの物体(水や空気、原子など)に求めました。
それに対しプラトンは物体ではなく精神世界に万物の根源を求めました。
精神世界に根源を求めるプラトンの思想のことを理想主義といい、後にドイツを中心とした哲学へと発展していきます。
アリストテレス
アリストテレスはプラトンが開いた学校であるアカデメイアで思想を学びました。今で言う学園(Academy)です。
アリストテレスはプラトンの理想主義ではなく、この世での経験と感覚を重視する現実主義の思想を展開しました。
目に見えないイデア界を信じるのではなく、目に見える現象界を生きることで、現実に存在している法や政治制度と折り合いをつけようとしたのです。
アリストテレスは、イデアは個々の事物の素材である「質料」の中に「形相」という形で存在している。
そして事物が起こす運動や変化は質料の中にある形相(≒イデア)が具体化していく過程であるとしました。
例えば机の場合は、机の素材である木材が「質料」で、机の理想的な形や機能が「形相」となります。
これが人間の場合、質料として生まれ、成長(=変化)していくことで形相が現実化していく、その過程を生きていることになります。
アリストテレスの死後、弟子たちは「形而上学」や「ニコマコス倫理学」などの著作を発表しました。
アリストテレスは哲学以外にも文理問わず幅広い研究を行っていたことから「万学の祖」と呼ばれています。
新プラトン主義
時は流れて帝政ローマ時代の3世紀、エジプト出身のプロティノスが、プラトン哲学の流れを汲む「新プラトン主義」を唱えました。
プロティノス曰く、プラトンが「善のイデア」と呼んだものは「一者」という、万物と世界が生まれる根源であり、一者は存在を超えたものであるとしました。
そして人間の魂は理性・精神と感覚・身体の世界にまたがる存在で、理性を純化して根源である一者へと返り、最終的に一者と合一を目指すという考え方をしました。
最後に
ギリシャ哲学の流れをたどることで、人類が「世界とは何か?」「人間とは何か?」と問い続けてきた軌跡が見えてきます。
自然から始まり、人為へと関心を広げ、絶対的な真理を求めたソクラテス、イデアを説いたプラトン、現実世界を重視したアリストテレス――彼らの思想は今もなお、私たちの価値観や社会のあり方に影響を与え続けています。
哲学とは、ただ古い学問ではなく、現代を生きる私たちが思索を深めるための羅針盤となるのです。


